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創業融資

創業融資を受けたいと考えています。創業融資というのは、日本政策金融公庫などから
創業時にかなり有利な条件で融資を受けるというものです。
今日は書店で創業融資の本を買って、電車内では三木清の文章を読んでいました。
現在が末法の時であるという意識は親鸞にとって正像末三時の教説によって、単に超越的に与えられたものではない。それは彼の時代の歴史の現実そのものの中 から生じたものである。彼の時代は政治的動揺の激しく、戦乱の打ち続いた時代であった。宗教界もまた決して平穏ではなかった。承元の法難には親鸞も連累し た。この事件において彼の師法然は土佐に流され、彼自身は越後に流された。いわゆる「闘諍堅固」は彼にとって切実な体験であった。彼の心を何よりも痛めた のは高潔であるべきはずの僧侶の蔽いがたい倫理的頽廃であった。時代の歴史的現実わけても宗教界の状態は、まじめな求道者をしてもはや世は末であるという ことを感じさせずにはおかなかったであろう。末法思想は鎌倉時代の仏教の著しい特色をなしている。それはこの時代における宗教改革の運動、新宗教の誕生に とって共通の思想的背景となっている。法然や親鸞、日蓮は言うまでもなく、栄西や道元のごときも何らか末法思想をいだいていた。法然上人の反対者であった 明恵上人や解脱上人ごときですら末法思想を持っていた。ただ、末法時をいかに見るか、またいかにこれに処すべきかについては、これらの人々の見解は一様で はなかった。
創業融資の事業計画書についてあれこれ考えながらさらに三木清の著作権切れの文章を読みました。
もちろん直接的には創業融資と何の関係も無いですが、行間を読むと見えてくるものがあります。
現在のこの現実が問題である。釈迦はすでに死し、弥勒はいまだ現われない。今の時はいわば無仏の時である。過去の理想も未来の理想も現在において自証されないかぎり意味を有しない。現在の現実の自覚における唯一の真実は現在がまさに末法の時であるということである。
 時代の歴史的現実の深い体験は親鸞に自己の現在が救い難い悪世であることを意識させた。しかも彼のこの体験を最もよく説明してくれるものは正像末の歴史 観である。正像末三時の教説は歴史の現在の現実においてその真理性の証明を与えられている。この歴史観は歴史の過程をいかに描いているか。『末法燈明記』 には次のごとく記してある。「問ふ、もししからば、千五百年のうちの行事いかんぞや。答ふ、大術経によるに、仏涅槃ののち、はじめの五百年には、大迦葉ら の七賢聖僧、次第に正法をたもちて滅せず、五百年ののち、正法滅尽せんと。六百年にいたりて、九十五種の外道きほひおこらん。馬鳴、世にいでて、もろもろ の外道を伏せん。七百年のうちに、竜樹、世にいでて、邪見のはた)をくだかん。八百年において、比丘縦逸にして、わづかに一二、道果をうるものあらん。九百年にいたりて、奴を比丘とし、婢を尼とせん。一千年のうちに、不浄観を聞〔欄外「開?」〕かん、瞋恚しんい)して欲せじ。千一百年に、僧尼嫁娶せん、僧毘尼びに)を毀謗きぼう)せん。千二百年に、諸僧尼らともに子息あらん。千三百年に、袈裟変じて白からん。千四百年に、四部の弟子みな猟師のごとし、三宝物を売らん。ここにいはく、千五百年に拘※弥コーシャンビー[#「目+炎」、U+7752、408-上-9]国 にふたりの僧ありてたがひに是非を起してつゐに相殺害せん。よりて教法竜宮におさまる。涅槃の十八および仁王らにまたこの文あり。これらの経文に准ずる に、千五百年ののち戒定慧あることなし。」諸種の経文は、釈迦の死後、やがて正法が滅び、戒を持する者がなくなるであろうと言っている。
創業融資について、また発見があったらお知らせしますね。

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